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中田久美スペシャルコラムvol.2 〜バルセロナ五輪〜

  • コラム
  • 2019.06.03

1992年バルセロナ五輪 準々決勝ブラジル戦

開会式で日本選手団の旗手も務めた、中田久美3度目で最後のオリンピック。

1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪に続き、1992年のバルセロナ五輪で3度目のオリンピック出場を果たした中田久美(現女子日本代表監督)。その中田、前回のソウル五輪では右膝のケガのため開会式に出られなかったが、このバルセロナ五輪では開会式で日本選手団の旗手を務める。女性としてはソウル五輪の小谷実可子(シンクロ)に次いで2人目、バレーボール選手としても1976年モントリオール五輪の猫田勝敏に次ぐ2人目となった。

試合のほうは、初戦でアメリカと対戦。第1セットを先取したものの、第2、第3セットを連取され、第4セットを奪い、迎えたファイナルセット。一時は4点差をつけられる苦しい展開となったが、これをひっくり返して15‐13で逆転勝ち。勢いに乗った日本は続くスペイン戦でセットカウント3‐0と快勝し、2大会ぶりのメダル獲得に向け絶好のスタートを切った。

だが、第3戦でEUN(旧ソ連からバルト三国を除く12国によって構成されたチーム)に0‐3で敗れたところから流れが変わってしまう。2勝1敗だがセット率の関係でA組3位となった日本は、準々決勝でB組2位のブラジルと対戦。勝てば最低でもベスト4、負ければメダルの夢が消えるという勝負の一戦は、第1セットこそ16‐14で接戦をものにしたものの、続く3セットを連取され敗退。

女子も男子並のパワーバレーを展開するようになった潮流に対し、拾ってつなぐ伝統のバレーで対抗した日本代表。試合終了後、改めて現実を見せつけられ、ベンチに戻って顔をタオルで隠しながら号泣する中田選手と大林素子選手、それをなぐさめる米田一典監督。続く5~6位決定戦でオランダを3‐1で下し5位を確保したのは救いだったが、女子日本代表にとっては過去最低成績。バルセロナ五輪を最後に、選手としての現役を退いた。

(月刊バレーボール)

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